diary 写真短歌「私の青空」

日々の生活で感じたことを、つたない短歌にしました。写真と短歌のコラボで遊びたい😅

この樹なんの樹?



この森の一番のっぽメタコセイヤ棚田の婆はもう起きたかい


先日カタクリの群生地(福島県会津)で見かけた、背の高い高い樹木。
一緒に行った友人は、ポプラだと言う。
撮った写真をググると、「メタコセイヤ」と回答。
初めて聞く名前でした。
もし、どなたか解る方がいましたら教えて頂きませんか😁

春の妖精


春風に首を振るかなカタクリよ声無き声に耳傾けて



福島県会津三島町
毎年訪れるカタクリの山里、いつもはカタクリの後に咲き始める山桜の大山さくらですが、今年は珍しくほぼ同時。
カタクリとピンクの山桜のコラボに、今日は満喫しました。

自然の営みは当たり前ですが、人間への忖度などしない。
先週の高温で一気に雪解けが進み、開花が場所によってまばらになったとか。
急に雪の布団をはがされて、戸惑っているようです。

「春の妖精」と呼ばれているカタクリの花。
耳を澄まして無心になれば、声が聴こえるでしょうか。

対比



カーテンを開ければ春の陽が満ちてニュースは駅にミサイル着弾

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春うららです。
福島県も各地で次々と開花宣言あり、今日は気温も上がり良いお天気。
そんな平和な春の朝に、ウクライナの駅にミサイル着弾のニュース。
避難をしようとしている人達の多くが犠牲に。
平和な春うららの日本では、正直実感がわきませんが悪夢が続いています。

「言葉にならない」とコメンテーターたちが、同様に語ります。
悲惨な言葉を並べても、なんだか真実から遠くなるような気がします。
コロナのリバウンドで感染者も日々増え、落ち着かない春ですね。

只今、高速バスで関東に向けて南下中です。(初孫の再会のため)
福島県から南下してくると桜は満開を過ぎ、良く見ると青葉も出始めています。
写真は一昨日、地元でパチリ!
愛犬の「くるみ」と。

雨音



救う命は二十人?アクビする大臣乗せて日出ずる国へ


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キーウ近郊の住民への大量虐殺。
思わずテレビを消した。ホントに言葉をなくします。
150人のキャパシティがある政府専用予備機、それにたった20人の避難民。
今夜、ポーランドを発ちます。
全く緊張感が伝わりません。


戦争を見ている家族 われら四人いつか見らるる家族になるか

駒田晶子
(1974年生まれ、福島市出身、仙台在住。「心の花」所属)

芽吹き


亡き父の止まった時計指で撫で時の儚さ時の愛しさ



東京では桜が満開とか、こちら福島県須賀川市ではやっと蕾がふくらんできました。
上記の日本画は、毎週末に座禅会が行われている「長松院」の山門のひとつ。
作者は戦時中、東京から須賀川疎開した日本画家。以後、市内の小中校で美術の教師になったようです。
「長松院毘沙門堂前の桜」鳥井未央・昭和30年の作品。(図書館でパチリ)
絵にある桜は、作品から67年が経ち現在は大木の桜になりました。開花はあと一週間ほどでしょうか。


冒頭の稚拙な歌は、下記の歌から影響?されました。

はずれたる腕時計の針をひそかにのせ港まつりの群れに入りゆく
(原 幸雄)

この作者は私は全く知りませんが、印象に残った一首です。
寺山修司 全歌論集」現代百人一首より。掲載された歌も興味深いけれど、寺山修司の解説がとても面白い。

追伸。
今朝の座禅会。
お経の最後には、ウクライナ侵攻早期終結の祈りがありました。
コロナは昨日、地元では過去最多の感染者数。
落ち着かない春です。

危うい春といつもの春。



華やかに光りあふるるこの街は一皮剥けばブラックアウト


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先週の福島県沖の地震で、海沿いの火力発電所二ヵ所(広野町、新地町)が被災。
関東地方に「電力需給ひっ迫警報」が発令。

福島県から高速バスで新宿駅前に着くと、光の洪水に圧倒されます。
2011年震災の年末の夜でした、喉元過ぎればなんとやら。
その時の違和感が、今でも忘れられません。
(現在は南口・バスタターミナル。以前は東口駅前)
便利な社会はありがたいけれど、その裏には多大なリスクがあり、一皮剥けば脆弱な姿が露見します。
普段はほとんどの人が気にも止めませんが。

ウクライナ情勢は、まだまだ先が見えません。
これ以上の悪夢を見たくありません。
辛い春といつもの春が、同居しています。
昨日の朝は珍しく、地元で樹氷が見られました。
今朝は雪も大分溶けて、ひばり、うぐいすの大合唱です。
手放しで喜べる春が来ることを祈ります。

(写真は近所の寺の野仏。何かを止めようとしているように見えました)