寒椿朝日を浴びて燃えるかなそっと奪いて冬野に帰る
紅葉の盛りも過ぎ、落葉樹は枯れ枝になりました。
寒ざむとした景色に変わってゆきますが、落ち葉は堆肥になり、裸の枝は陽を浴び、再生の春に備えています。
けして、死んだわけではありません。
私たちはどうなのでしょうか?
輪廻転生なんて信じているわけではないけれど、命は何処かへ繋がってゆくのでしょうか。
亡くなった瀬戸内寂聴さんは、「生きることは誰かを幸せにするため」「生きることは誰かを愛するため」だとか。
人は人との繋がりで、初めて幸せを実感するのでしょうか。
前期高齢者になっても、恥ずかしながらよく分かりません😆
余談です。
「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」
宮沢賢治「農民芸術概論」より。